毎回の活動を、当日参加した会員が交代で記録。
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【日時】 6月27日(金)
【場所】 図書館3階第3グループ閲覧室
【人数】 9人
【内容】 木林さんの『鴉』、杉山さんの『ラッキーボーイ』合評 後、新歓コンパ
こんばんわ。はじめまして。
新入生ではないですが、新入会員の市川と申します。
と言った後に続く言葉がいまいち見当たりませんので、このまま合評の内容とそのあとの新歓コンパの報告をさせていただきます。
まず、木林 紅 黒白さんの『鴉』から。
イメージの連関・連想を言葉にしていく面白さ、技巧的なうまさには全体から賞賛があがっていました。
そして、そのイメージのつながりから主体の「私」というキャラクター造形を出せている点のうまさもよかったと思います。
でも、連想という形によって時々つっかかたりしてるんじゃないか、という意見も。
また、もっとわかりやすいストーリーがあってよかったのではないか、という意見や、均一という言葉のあいまいさを指摘する声もありました。
あとは、最後に飛び立つ二羽の鴉は、関係性の象徴で、この話全体として、「私」でない誰かを求めながらもその世界に入って行けない葛藤が描かれているんじゃないかという解釈がなされました。
他には、漢字とひらがなの使い分けの問題も話し合われました。
これは、この話の主人公が自分のことを「私」と書いていて、この漢字表記のせいで性別自体があいまいになってしまっているのではないかという指摘からと、あとはタイトルや作中で使われている「鴉」はカタカナの方がイメージがわきやすいのではないか、という意見があったからですが、どうやら後者、「鴉」の漢字の問題は作者が意図的にカラスを何か悪いものとして連想させるために用いたとかだそうです。
また、「夢」を小説で描く必要性についての話も出ました。
小説というのは前提としてフィクションなのだから、さらにフィクション性の強い夢に重きをおく必要はないのではないか。
もし、夢を題材にするならばそれを装置にして、つまり夢から対比される(小説内の)現実をより深めていくため使うべきなのではないか。
といった意見です。
結果、この話の場合、主人公の主観を大事にしているのだから、何も夢だということを明確に示さずともよいのではないか、という意見が出ました。
次に杉山研さんの『ラッキーボーイ』の合評。
この文章量をすらすら読ませるのはすごいよね、とまずはあがりました。
また社会と個人というものの対比や、会社で仕事をしていく場面のリアリティ、幸福を追いながらにして落ちていくという形式のうまさなどを褒める意見も多々でました。
ですが、全体的にさらっとしているのではないかという意見や、人物を中心に描いているにもかかわらず人間臭さに欠けているという指摘も。
内容に妊娠という問題がかかわっている点もあってから女性から妊娠に対するリアクションとして、それはどうなの? といった意見も出たりしました。
合評のあとは、チファジャにて新歓コンパが行われました。
皆さん、ごちそうさまです。焼き肉おいしかったです。飲み会楽しかったです。
どうもお世話になりました。ありがとうございます。
二次会は嵐でおこなわれ、偶然にも京都ロマンポップの皆さんと遭遇。
なんだかとても賑やかでした。
楽しかったです。二度めになりますが、ありがとうございました。
はじめての、日誌なのでどきどきですが、これにて失礼します。
【場所】 図書館3階第3グループ閲覧室
【人数】 9人
【内容】 木林さんの『鴉』、杉山さんの『ラッキーボーイ』合評 後、新歓コンパ
こんばんわ。はじめまして。
新入生ではないですが、新入会員の市川と申します。
と言った後に続く言葉がいまいち見当たりませんので、このまま合評の内容とそのあとの新歓コンパの報告をさせていただきます。
まず、木林 紅 黒白さんの『鴉』から。
イメージの連関・連想を言葉にしていく面白さ、技巧的なうまさには全体から賞賛があがっていました。
そして、そのイメージのつながりから主体の「私」というキャラクター造形を出せている点のうまさもよかったと思います。
でも、連想という形によって時々つっかかたりしてるんじゃないか、という意見も。
また、もっとわかりやすいストーリーがあってよかったのではないか、という意見や、均一という言葉のあいまいさを指摘する声もありました。
あとは、最後に飛び立つ二羽の鴉は、関係性の象徴で、この話全体として、「私」でない誰かを求めながらもその世界に入って行けない葛藤が描かれているんじゃないかという解釈がなされました。
他には、漢字とひらがなの使い分けの問題も話し合われました。
これは、この話の主人公が自分のことを「私」と書いていて、この漢字表記のせいで性別自体があいまいになってしまっているのではないかという指摘からと、あとはタイトルや作中で使われている「鴉」はカタカナの方がイメージがわきやすいのではないか、という意見があったからですが、どうやら後者、「鴉」の漢字の問題は作者が意図的にカラスを何か悪いものとして連想させるために用いたとかだそうです。
また、「夢」を小説で描く必要性についての話も出ました。
小説というのは前提としてフィクションなのだから、さらにフィクション性の強い夢に重きをおく必要はないのではないか。
もし、夢を題材にするならばそれを装置にして、つまり夢から対比される(小説内の)現実をより深めていくため使うべきなのではないか。
といった意見です。
結果、この話の場合、主人公の主観を大事にしているのだから、何も夢だということを明確に示さずともよいのではないか、という意見が出ました。
次に杉山研さんの『ラッキーボーイ』の合評。
この文章量をすらすら読ませるのはすごいよね、とまずはあがりました。
また社会と個人というものの対比や、会社で仕事をしていく場面のリアリティ、幸福を追いながらにして落ちていくという形式のうまさなどを褒める意見も多々でました。
ですが、全体的にさらっとしているのではないかという意見や、人物を中心に描いているにもかかわらず人間臭さに欠けているという指摘も。
内容に妊娠という問題がかかわっている点もあってから女性から妊娠に対するリアクションとして、それはどうなの? といった意見も出たりしました。
合評のあとは、チファジャにて新歓コンパが行われました。
皆さん、ごちそうさまです。焼き肉おいしかったです。飲み会楽しかったです。
どうもお世話になりました。ありがとうございます。
二次会は嵐でおこなわれ、偶然にも京都ロマンポップの皆さんと遭遇。
なんだかとても賑やかでした。
楽しかったです。二度めになりますが、ありがとうございました。
はじめての、日誌なのでどきどきですが、これにて失礼します。
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ネタが古い?
はじめまして。そういえば日誌を書くのは初めての杉山研です。2年目なのに。影薄いなぁ
本日の出席者は4人と遅れてもう4人。合評は機関誌の原稿2つ。
『鴉』 木村 紅 黒白
『ラッキーボーイ』 杉山 研
他にも今週は併せて5つの作品が提出されました。締切を2週間過ぎて、ようやく原稿も続々と上がってきたようですね。自分が言えた事じゃありませんが
はじめに『鴉』から。
(どちらかと言えば荒涼とした)心象風景を描くことが多いように思われる黒白さんの作品ですが、その表現力は作品を重ねるごとに増してきているのでは、と個人的にも思いますし、そのような意見が出されました。歌を使った事はキャラクター描写の面ではとても有効だったように思えますが、肝心の元ネタを一同知らないので突っ込んだ議論は出来ず。
夢というものを小説の中で描くことについては様々に議論されました。夢の内容を小説の世界の中で描くことは不可能ではないといった意見が出されました。そこに至らなかったのは技術的に出来なかったのか、それとも夢でいいと思ったのか、等等。作者の思惑が聞きたい所です。
あと、作中で出てくるカラスが日本的なイメージの鴉とはややズレているという指摘から、タイトルは『カラス』とすべきでは? という意見もありました。
次いで、『ラッキーボーイ』。
何事にも幸福感を覚えるいい人の主人公が社会の、会社の中で云々というテーゼは比較的評価されていたように思います。また、仕事の描写のリアリティが失われていない点も良かったのでは、という感想もありました。
作中の「蟹工船」という表現についての疑問も挙げられました。労働の負の面を描いているとはいえ、立ち向かった蟹工船とは逆ではないか、云々。
テーマである幸運と幸福についても意見が様々出ました。幸運論と幸福論が繋がってないのではないか、とか幸運と思っているのは本心からなのか、とか集団の幸せと個人の幸せの間のシフトが上手く行ってるのか? とか。個人的にも書いてる途中で頭がこんがらがってどうかなぁ? と感じていた所なんですが…まだ煮え切らないです。
どうでもいいけど自分の作品の合評風景を書くのって難しいなぁ
あと、本日はBKCの方から、新しい文芸サークルの「ノベリスト」(英語表記かな? 間違ってたらすみません)の方々が3人視察に来られました。新設サークルという事でノウハウを学びに来られたようですが、小説談義でも盛り上がっていたように思います。
理系だろうと何だろうと、とにかく書きたい、表現したいと思える気持ちは大事だと思いますし、これからBKCでも文芸を盛り上げていってもらいたい所だと思います。森博嗣氏みたいに理系で研究の傍ら小説を書いてる、なんて人もいるのですしね。
最近の日誌の傾向から、ひとつ小説論でもぶった方がいいのかとも思いましたが面倒なんでやめました。と言うかまぁ、小説の書き方や小説に対する思いなんて人それぞれですし、その人のやり方に合ったサークルを選んでくれればいいと思うのです。
でもまぁ、高村さんの日誌で言っていたとおり、人前に出すものである以上読者・他者を意識しない小説はちょっとどうかな、とは思います。これは小説に限らず表現全てに言える事のような気もするのですけどね。
それではこのへんで。
文のそこかしこにボロが出てそうで怖い杉山でした。
はじめまして。そういえば日誌を書くのは初めての杉山研です。2年目なのに。
本日の出席者は4人と遅れてもう4人。合評は機関誌の原稿2つ。
『鴉』 木村 紅 黒白
『ラッキーボーイ』 杉山 研
他にも今週は併せて5つの作品が提出されました。締切を2週間過ぎて、ようやく原稿も続々と上がってきたようですね。自分が言えた事じゃありませんが
はじめに『鴉』から。
(どちらかと言えば荒涼とした)心象風景を描くことが多いように思われる黒白さんの作品ですが、その表現力は作品を重ねるごとに増してきているのでは、と個人的にも思いますし、そのような意見が出されました。歌を使った事はキャラクター描写の面ではとても有効だったように思えますが、肝心の元ネタを一同知らないので突っ込んだ議論は出来ず。
夢というものを小説の中で描くことについては様々に議論されました。夢の内容を小説の世界の中で描くことは不可能ではないといった意見が出されました。そこに至らなかったのは技術的に出来なかったのか、それとも夢でいいと思ったのか、等等。作者の思惑が聞きたい所です。
あと、作中で出てくるカラスが日本的なイメージの鴉とはややズレているという指摘から、タイトルは『カラス』とすべきでは? という意見もありました。
次いで、『ラッキーボーイ』。
何事にも幸福感を覚えるいい人の主人公が社会の、会社の中で云々というテーゼは比較的評価されていたように思います。また、仕事の描写のリアリティが失われていない点も良かったのでは、という感想もありました。
作中の「蟹工船」という表現についての疑問も挙げられました。労働の負の面を描いているとはいえ、立ち向かった蟹工船とは逆ではないか、云々。
テーマである幸運と幸福についても意見が様々出ました。幸運論と幸福論が繋がってないのではないか、とか幸運と思っているのは本心からなのか、とか集団の幸せと個人の幸せの間のシフトが上手く行ってるのか? とか。個人的にも書いてる途中で頭がこんがらがってどうかなぁ? と感じていた所なんですが…まだ煮え切らないです。
どうでもいいけど自分の作品の合評風景を書くのって難しいなぁ
あと、本日はBKCの方から、新しい文芸サークルの「ノベリスト」(英語表記かな? 間違ってたらすみません)の方々が3人視察に来られました。新設サークルという事でノウハウを学びに来られたようですが、小説談義でも盛り上がっていたように思います。
理系だろうと何だろうと、とにかく書きたい、表現したいと思える気持ちは大事だと思いますし、これからBKCでも文芸を盛り上げていってもらいたい所だと思います。森博嗣氏みたいに理系で研究の傍ら小説を書いてる、なんて人もいるのですしね。
最近の日誌の傾向から、ひとつ小説論でもぶった方がいいのかとも思いましたが面倒なんでやめました。と言うかまぁ、小説の書き方や小説に対する思いなんて人それぞれですし、その人のやり方に合ったサークルを選んでくれればいいと思うのです。
でもまぁ、高村さんの日誌で言っていたとおり、人前に出すものである以上読者・他者を意識しない小説はちょっとどうかな、とは思います。これは小説に限らず表現全てに言える事のような気もするのですけどね。
それではこのへんで。
文のそこかしこにボロが出てそうで怖い杉山でした。
どうも。おひさしぶりです。
木林 黒白(きばやし こくしろう)あらため
木林 紅 黒白(きばやし ほあん こくしろう)です。
晩秋の男が帰ってきましたよー。
さて、本日の例会、
『犬と階段』(高村 綾)
『塵箱』(小柳 優斗)
を合評しました。
『犬と階段』。
タイトルは変わるらしい(?)です。
この作品を合評すのは二回目なので、おもに変更点についての意見が出ました。
・堕ちていくイメージ
・「愚か者め……」が何に対して?
・センセイのせりふは要らない?
などなど。
いやあ、しかし高村さんの作品は合評するのは難しいです。汗
『塵箱』。
(まだ見ぬ)新入生の作品。
これも二回目の合評。
しかし、一回目に参加していなかった人も多く、作品全体から意見が出ました。
・作品の時代がわかりにくい。(ほぼ全員から出た意見。一行目の印象では、作品は江戸、明治が舞台になっていると思った、という意見が多かった。
・地震の発生は都合が良すぎるのでは?
・ラストの伏線が前半にほしい
・リアリティの欠如(プラスチックの割れ方など)
・語彙力がある。
・読者を想定した試みはよい(驚かせてやろうという意図
・三人称で偽りをのべるのは良くない?(主人公が塵箱をなぜ嫌っているかについて断定しているがそれが誤り
などなど
最後の「三人称~」については話が広がって、叙述トリックなどの、読者に対する裏切りについての論議へ、『ダヴィンチコード』や、『県庁の星』の例も。
とりあえずこの作品について見習いたいのは、6点目の読者を想定した試みをしているということ。
エンターテイメントにおいて欠かしてはならない姿勢だなぁと思いますね。ここからは、持論も入ってくるのですが、
エンターテイメントと芸術は隣り合うもので、その境界は曖昧で、小説に限らずほとんどの作品は、その境界にあるものだと思います。
エンターテイメントを追求しても、芸術性がまったくないものはないし、逆も同じだと思います。
エンターテイメントとはつまり、読者に楽しんでもらうこと、それこそ読者を驚かせようという試みは、このことを念頭に置いているのでしょう。
芸術性を高めるということは、抽象度が高く、具体的な試みで結果が得られるというものではなく、難しいところはありますが、努力のしようはあります。
人によって、また、スタンスによってエンターテイメント性を重視するか、芸術性を重視するかは異なりますが、件の作者のような姿勢は、常に意識しておきたいものです。
木林 黒白(きばやし こくしろう)あらため
木林 紅 黒白(きばやし ほあん こくしろう)です。
晩秋の男が帰ってきましたよー。
さて、本日の例会、
『犬と階段』(高村 綾)
『塵箱』(小柳 優斗)
を合評しました。
『犬と階段』。
タイトルは変わるらしい(?)です。
この作品を合評すのは二回目なので、おもに変更点についての意見が出ました。
・堕ちていくイメージ
・「愚か者め……」が何に対して?
・センセイのせりふは要らない?
などなど。
いやあ、しかし高村さんの作品は合評するのは難しいです。汗
『塵箱』。
(まだ見ぬ)新入生の作品。
これも二回目の合評。
しかし、一回目に参加していなかった人も多く、作品全体から意見が出ました。
・作品の時代がわかりにくい。(ほぼ全員から出た意見。一行目の印象では、作品は江戸、明治が舞台になっていると思った、という意見が多かった。
・地震の発生は都合が良すぎるのでは?
・ラストの伏線が前半にほしい
・リアリティの欠如(プラスチックの割れ方など)
・語彙力がある。
・読者を想定した試みはよい(驚かせてやろうという意図
・三人称で偽りをのべるのは良くない?(主人公が塵箱をなぜ嫌っているかについて断定しているがそれが誤り
などなど
最後の「三人称~」については話が広がって、叙述トリックなどの、読者に対する裏切りについての論議へ、『ダヴィンチコード』や、『県庁の星』の例も。
とりあえずこの作品について見習いたいのは、6点目の読者を想定した試みをしているということ。
エンターテイメントにおいて欠かしてはならない姿勢だなぁと思いますね。ここからは、持論も入ってくるのですが、
エンターテイメントと芸術は隣り合うもので、その境界は曖昧で、小説に限らずほとんどの作品は、その境界にあるものだと思います。
エンターテイメントを追求しても、芸術性がまったくないものはないし、逆も同じだと思います。
エンターテイメントとはつまり、読者に楽しんでもらうこと、それこそ読者を驚かせようという試みは、このことを念頭に置いているのでしょう。
芸術性を高めるということは、抽象度が高く、具体的な試みで結果が得られるというものではなく、難しいところはありますが、努力のしようはあります。
人によって、また、スタンスによってエンターテイメント性を重視するか、芸術性を重視するかは異なりますが、件の作者のような姿勢は、常に意識しておきたいものです。
いやまぁ、活動日は昨日で桜桃忌は今日だから関係ないっちゃ関係ないのですが。笑
太宰治の眠去から今年で60年。文学を志す者として、この場を借りて彼の死を悼み、偲ばせてもらいます。「心には悩みわずら」い続けた太宰が、安らかに眠っていますように。
【活動日】2008年6月18日水曜日
【記録者】高村
【時間】6限
【場所】図書館3階第3グループ閲覧室
【参加した人数】4人
【活動内容と感想】
「文-BUN-」夏号の発行にむけて、機関紙に載せる原稿の合評をしました。今回の作品は新入会員Kくんの「塵箱」、高瀬「階段」、高村「犬と階段」です。
Kくん:「塵箱」
実力派のビックな新人が入ってきやがったぜ! と思わず拳を握り締めてしまいました。時代設定やストーリー展開の装置など、細かな設定や作品の方向性について批判はありましたが、全体的な意見はかなり好評。文体の古臭さと身の毛のよだつ気持ち悪さがマッチして、かなり面白い作品にあがっています。
作品を読めば、作者がどれくらいの語彙、教養を持っているかは一目瞭然なんだなぁ、ということをつくづく感じさせられました。彼は時代小説が好きなんだそうで、読み込んでいることが本当によく分かる文体を持っていました。少し気取ってはいたけれど、それが鼻につかないのは、それらがどういう場面でどう使われるかをよく知っているからだと思います。それは本を読んでいないと学べないことです。
当然のことながら、自分の血となり肉となるものは自分の外から摂取したものです。文章を書くということも同じ。本を読め。古典に返れ。わたしたちの言葉が脈々と受け継がれてきたものの末端であることを忘れてはならない。たかだか十年や二十年の言葉では想像もできないような世界が、本の中にはあるのです。
……ちょっと熱くなりすぎてうっとうしいですが。笑
高瀬:「階段」
……すいません高村遅刻していったので合評聞けませんでした。笑
こんなわたしがなんで日誌書いてるかというと、最近書いてなかったから書きたかっただけです。すいません。笑
個人的な感想を言うと、今までの彼女のカラーとはまた一味違う作品だな、と。実際にあったことを下敷きにしているそうで、体験したひとにしか分からない感覚が上手く書けてると思います。今まで内側に向かって完結していた彼女の世界が、外側、社会に向かって開かれた、そんな作品に思います。ただちょっと短いので高瀬ワールドが出し切れてないかなぁ~、なんて。笑
階段をテーマに書いたもう一作、「ジュリエットの階段」も好きだったので、どうしてこっちにしたのかな、というのも聞いてみたかったです。
高村:「犬と階段」
前回とあんま変わってないので合評内容もあまり変化なし。笑
書き直したところがあまり効果を発していないようです。変えないままでいくか考え中……ふぅむ。「この作品は男をイラっとさせてなんぼだろ」というご意見をいただきました。笑 女性には共感を、男性にはこんな女性の一面を知るきっかけを、感じていただけたら嬉しいです。
あ、タイトルは高瀬ちゃんと被るので笑、「アクトレス」に変えようと思います。
↓以下は、新入生も入ってきたところで、「文芸創作同好会」とはどういう場所なのか? ということについて、改めてわたしなりに考えてまとめてみました。「違うんじゃね!?」、「わたしはそうは思わない!」というご意見ももちろん受けますよ?笑
書くジャンルも目指すところも違うメンバーが集まっている「文芸創作同好会」ですが、ただひとつ同じ気持ちでいてほしいのは、
「小説を趣味で終わらせない。」
ということ。自分にとって、社会にとって、書き手にとって、読者にとって、小説とは一体何なのかということを真剣に考えていくこと。これを忘れてしまったら、わたしたちは世の中に掃いて捨てるほどある名ばかりの文芸サークルと同じです。それなら「文芸創作同好会」が存在する意味がない。
自己満足で終わらない。今の自分に満足しない。批判を摂取して、挑戦し続ける。既にある自分の考えを壊すことを恐れない。それが「小説を趣味で終わらせない」ということなんじゃないでしょうか。もう、自分に言い聞かせてるみたいになってきましたけど。笑
だから、読者を無視した自己満足の作品は批判します。自分を吐き出したいだけならブログとかでいいのです。「小説」は読み手がいなければ成り立ちません。だから読者を意識することは絶対必要です。
読者に媚びろということではありません。わたしたちは商業向けのプロ作家ではないので。
読者を意識できて、読者に媚びない。自分のためだけではなく、自分のためにも。このバランスが学べたら「文芸創作同好会」に入った意味があるのではないでしょうか。
「なぜ小説を書くのだろう?」、もう一度、原点に返って考えてみませんか。答えは出ないかもしれませんが、考えることに意味があると思うのです。
……すごく、暑苦しいですね。笑
あまりに長くなったので連絡はBBSのほうに書きます!(意味ナイ)ごめんなさい……笑
太宰治の眠去から今年で60年。文学を志す者として、この場を借りて彼の死を悼み、偲ばせてもらいます。「心には悩みわずら」い続けた太宰が、安らかに眠っていますように。
【活動日】2008年6月18日水曜日
【記録者】高村
【時間】6限
【場所】図書館3階第3グループ閲覧室
【参加した人数】4人
【活動内容と感想】
「文-BUN-」夏号の発行にむけて、機関紙に載せる原稿の合評をしました。今回の作品は新入会員Kくんの「塵箱」、高瀬「階段」、高村「犬と階段」です。
Kくん:「塵箱」
実力派のビックな新人が入ってきやがったぜ! と思わず拳を握り締めてしまいました。時代設定やストーリー展開の装置など、細かな設定や作品の方向性について批判はありましたが、全体的な意見はかなり好評。文体の古臭さと身の毛のよだつ気持ち悪さがマッチして、かなり面白い作品にあがっています。
作品を読めば、作者がどれくらいの語彙、教養を持っているかは一目瞭然なんだなぁ、ということをつくづく感じさせられました。彼は時代小説が好きなんだそうで、読み込んでいることが本当によく分かる文体を持っていました。少し気取ってはいたけれど、それが鼻につかないのは、それらがどういう場面でどう使われるかをよく知っているからだと思います。それは本を読んでいないと学べないことです。
当然のことながら、自分の血となり肉となるものは自分の外から摂取したものです。文章を書くということも同じ。本を読め。古典に返れ。わたしたちの言葉が脈々と受け継がれてきたものの末端であることを忘れてはならない。たかだか十年や二十年の言葉では想像もできないような世界が、本の中にはあるのです。
……ちょっと熱くなりすぎてうっとうしいですが。笑
高瀬:「階段」
……すいません高村遅刻していったので合評聞けませんでした。笑
こんなわたしがなんで日誌書いてるかというと、最近書いてなかったから書きたかっただけです。すいません。笑
個人的な感想を言うと、今までの彼女のカラーとはまた一味違う作品だな、と。実際にあったことを下敷きにしているそうで、体験したひとにしか分からない感覚が上手く書けてると思います。今まで内側に向かって完結していた彼女の世界が、外側、社会に向かって開かれた、そんな作品に思います。ただちょっと短いので高瀬ワールドが出し切れてないかなぁ~、なんて。笑
階段をテーマに書いたもう一作、「ジュリエットの階段」も好きだったので、どうしてこっちにしたのかな、というのも聞いてみたかったです。
高村:「犬と階段」
前回とあんま変わってないので合評内容もあまり変化なし。笑
書き直したところがあまり効果を発していないようです。変えないままでいくか考え中……ふぅむ。「この作品は男をイラっとさせてなんぼだろ」というご意見をいただきました。笑 女性には共感を、男性にはこんな女性の一面を知るきっかけを、感じていただけたら嬉しいです。
あ、タイトルは高瀬ちゃんと被るので笑、「アクトレス」に変えようと思います。
↓以下は、新入生も入ってきたところで、「文芸創作同好会」とはどういう場所なのか? ということについて、改めてわたしなりに考えてまとめてみました。「違うんじゃね!?」、「わたしはそうは思わない!」というご意見ももちろん受けますよ?笑
書くジャンルも目指すところも違うメンバーが集まっている「文芸創作同好会」ですが、ただひとつ同じ気持ちでいてほしいのは、
「小説を趣味で終わらせない。」
ということ。自分にとって、社会にとって、書き手にとって、読者にとって、小説とは一体何なのかということを真剣に考えていくこと。これを忘れてしまったら、わたしたちは世の中に掃いて捨てるほどある名ばかりの文芸サークルと同じです。それなら「文芸創作同好会」が存在する意味がない。
自己満足で終わらない。今の自分に満足しない。批判を摂取して、挑戦し続ける。既にある自分の考えを壊すことを恐れない。それが「小説を趣味で終わらせない」ということなんじゃないでしょうか。もう、自分に言い聞かせてるみたいになってきましたけど。笑
だから、読者を無視した自己満足の作品は批判します。自分を吐き出したいだけならブログとかでいいのです。「小説」は読み手がいなければ成り立ちません。だから読者を意識することは絶対必要です。
読者に媚びろということではありません。わたしたちは商業向けのプロ作家ではないので。
読者を意識できて、読者に媚びない。自分のためだけではなく、自分のためにも。このバランスが学べたら「文芸創作同好会」に入った意味があるのではないでしょうか。
「なぜ小説を書くのだろう?」、もう一度、原点に返って考えてみませんか。答えは出ないかもしれませんが、考えることに意味があると思うのです。
……すごく、暑苦しいですね。笑
あまりに長くなったので連絡はBBSのほうに書きます!(意味ナイ)ごめんなさい……笑
【日時】 6月13日(金)
【場所】 図書館3階第3グループ閲覧室
【人数】 9人
【内容】 Hくんの『刈り取られたもの』合評
こんにちは。
ジェイソンが来るよ、とビューティー眼鏡に脅された曽我部です。
今日は前回に引き続いて『刈り取られたもの』の合評をしました。
前回はわずか4人での合評にも関わらずたくさんの意見が出たようで、今回の新しい意見というとだいぶ限られたものになってしまうんですが、以下に挙げておきます。
・「ぼく」が俗っぽいのかそうでないのか微妙
第一段落目では割と普通の子として描かれてるけど、後半になるにつれて頭のいい子になってきている
・逆に、頭のいい子に描かれているか? という意見も
・さらにちょっと脱線して、この作品に限らず、「天才」「頭のいい人間」を書く難しさについても言及。特に一人称では、読者に「この人は頭がいい」と納得させられるような文章を書けるかどうかなので、難しい。
・文章のかたさは別にしても、所々つっかえてしまう。段落ごとに流れが切れてしまっている所がある。
・「外国人の詩集」とあるが、具体的な書名があったほうがいいんじゃないか。
取り上げられる作品によって、また意味合いが変わってくるので、上手く使えると素敵。
・最後の一文の有無についても、前回に引き続いて議論されました。
「馬鹿げているような気がした」という文が何にかかっているのかで意味が変わってくる。
・本を刈り取ったことについてなのか
・成績の良さで優越感にひたっていた自分の言動や思考なのか
・全部ひっくるめて「全ての事」なのか
・前半や全体としてはステレオタイプだが、詩集を切り取るふの部分は思いつかない。Hくん独特の発想
・語彙、文体について
作者の言葉として板についていない感じ、という意見が多く出ました。
でも、文章の傾向自体はいい感じなので、単なる批判として受け止めずに、じゃあ板に付けてやるぜ的な意気込みを持って次回作に挑んでほしいです。
とにかく会長が推してました。ぐいぐい。ほとばしる大すきを押さえつけるのに必死でした。
個人的には、というか、副会長のわたしとしては、よかった、こういう作品を書いてくれる、しかもこれから成長幅がすごく見える子が入ってくれて、これで来年も安泰だ! という感じです。一安心です。
哲学専攻の本領発揮という感じですね。にやにやします。
そんな感じでそろそろ新歓コンパをしなければ。
たぶんまだ新歓していないのはうちのサークルくらいでしょう(笑
今月中にできるといいなあ。
夏休みの合宿についてもそろそろと計画進行中です。
いい活動していきたいです。
【場所】 図書館3階第3グループ閲覧室
【人数】 9人
【内容】 Hくんの『刈り取られたもの』合評
こんにちは。
ジェイソンが来るよ、とビューティー眼鏡に脅された曽我部です。
今日は前回に引き続いて『刈り取られたもの』の合評をしました。
前回はわずか4人での合評にも関わらずたくさんの意見が出たようで、今回の新しい意見というとだいぶ限られたものになってしまうんですが、以下に挙げておきます。
・「ぼく」が俗っぽいのかそうでないのか微妙
第一段落目では割と普通の子として描かれてるけど、後半になるにつれて頭のいい子になってきている
・逆に、頭のいい子に描かれているか? という意見も
・さらにちょっと脱線して、この作品に限らず、「天才」「頭のいい人間」を書く難しさについても言及。特に一人称では、読者に「この人は頭がいい」と納得させられるような文章を書けるかどうかなので、難しい。
・文章のかたさは別にしても、所々つっかえてしまう。段落ごとに流れが切れてしまっている所がある。
・「外国人の詩集」とあるが、具体的な書名があったほうがいいんじゃないか。
取り上げられる作品によって、また意味合いが変わってくるので、上手く使えると素敵。
・最後の一文の有無についても、前回に引き続いて議論されました。
「馬鹿げているような気がした」という文が何にかかっているのかで意味が変わってくる。
・本を刈り取ったことについてなのか
・成績の良さで優越感にひたっていた自分の言動や思考なのか
・全部ひっくるめて「全ての事」なのか
・前半や全体としてはステレオタイプだが、詩集を切り取るふの部分は思いつかない。Hくん独特の発想
・語彙、文体について
作者の言葉として板についていない感じ、という意見が多く出ました。
でも、文章の傾向自体はいい感じなので、単なる批判として受け止めずに、じゃあ板に付けてやるぜ的な意気込みを持って次回作に挑んでほしいです。
とにかく会長が推してました。ぐいぐい。ほとばしる大すきを押さえつけるのに必死でした。
個人的には、というか、副会長のわたしとしては、よかった、こういう作品を書いてくれる、しかもこれから成長幅がすごく見える子が入ってくれて、これで来年も安泰だ! という感じです。一安心です。
哲学専攻の本領発揮という感じですね。にやにやします。
そんな感じでそろそろ新歓コンパをしなければ。
たぶんまだ新歓していないのはうちのサークルくらいでしょう(笑
今月中にできるといいなあ。
夏休みの合宿についてもそろそろと計画進行中です。
いい活動していきたいです。