忍者ブログ
毎回の活動を、当日参加した会員が交代で記録。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【活動日】4月23日(金)
【記録者】市川太郎
【時間】18:00~19:30
【場所】清心館541
【参加した人数】4人
【活動内容】茂里安「誰がための絵(仮)」、市川太郎「月へ行く」の合評

とても久しぶりです。半ばはじめましてです。
多分年単位ぶりです。市川太郎です。

一度、退会してカッコ悪いことに戻ってきて、ちゃっかり機関誌に乗せてもらって、ちゃっかり合評などしていただきました。
ということで4月23日の活動記録です。

まず「誰がための絵(仮)」から。

・全体的に漫然とした印象
 視点の問題。誰が、誰を、どう見ているのか、という視点の在り方の判然としなさがひとつの曖昧さを形作ってるのではないか。(三人称だからといって、「誰が」見ているのかという問題を無視することはできない)

・人物が全体としてキャラクター染みている。主人公に魅力がない。
 言うなれば、人物へのバイアスのようなもの。主人公にせよ、翠にせよ、途中出てくるおじいさんにせよ、「キャラクターの設定(傾向)」のようなもの、もしくは、作者が持っている人物の人物性に対する偏見から人物として形作られている感じがする。
 たとえば、おじいさんなら「優しいおじいさん」はこんな感じ、子どもなら「無邪気な子ども」はこんな感じ、というなんとなく傾向で人物が存在しているので、リアリティに欠けているのでは。

・全体として綺麗だけど、綺麗さに違和感。もしくは綺麗なだけになってしまっている。または長い。
 上の視点の問題にも若干絡んでくるところだと思う。「誰が」見ているのかが判然として来ないと、そこに扱われる言語体系も判然としなくなってきて、判然としないまま言葉が選択され、小説全体の文法が崩れてしまっている感じ。
 情景描写というものが、物語に対して駆動するようなものでなければ、その情景描写がその作品において必要なのかどうか、ということに関しても意見が出ました。この作品は、物語と情景描写がうまくかみあっていないのでは。

・「死」といった問題に取り組んでいく姿勢はいいと思う。
 ただもっと踏み込める領域があるはず。

・遊び方がやや下手。もう少し不真面目になってもいいのでは。

・美大という場所を描いていても、何かもっとディテールなどへの書き込みも必要なのでは。

・タイトルは微妙かも?

全体として、なんだか漠然とした印象でした。
前半のがつがつ書いてるのは、割とぼくががつがつ言った部分です。


次にぼくの「月へ行く」。

・タイトルが微妙。

・読んだ後に感想のもちようがない。深読みするのがナンセンスになってしまう。というか感想言いにくい。

・なんで月へ行った?

・エピソードのはさみ方のうまさ。

・春樹が短編集のあとがきで書き足した文章みたい。

・そういう小説として読めば完成度が高いけど、やっぱり嫌い。



ぼくもタイトルは微妙だと思うんですが、他に思いつかなかったんです。
候補としては「来訪者」、「火星/月/遠い、小さな場所」とかあったんだけど、なんか微妙で、微妙な中でいくらかマシなものとして「月へ行く」でした。
ていうか、どうでもいい話なんですけど、「ぼく」と「火星人」は別に月へ行ってないんですよね、というのが結局言いだせなかったです(笑)
月へ行ったのは「ぼく」が適当に考えただけで、実際別に月へ行ってないんだけど、行ってるっていう方向で半ば全員一致で話が進んでいて、あ、そう読まれるのか、というのが一番の驚きだったんですが。あれ、本当に月へ行ったと思って読まれていたんですよね? 勘違いでしょうか。

最近、「視点」の問題をよく考えています。
視点の構造をどういう風に作り替えていくことができるのかというのはひとつの課題だと思います。
そして、しっかりと視点を形作ることが面白い小説の第一条件なんだろうと思います。

あと物語に関しても少し悩んでいます。
自分で取り扱える物語の幅なんかをよく考えています。大それたことはむずかしそうです。
でも物語なしには、時間が進みません。
つまり小説の時間を進ませるために、物語というものが必要なのだろうとは思いますが、その物語にしても、きっと物語っぽいものはたくさんあっても、本当に物語なものというのは探すのが大変です。
きっと足りないのはそこへ踏み込む勇気だろうと思います。

最近、ロベルト・ボラーニョの長編「野生の探偵たち」という小説を読んでいます。
消えたひとりの女流詩人の行方を探しに砂漠に旅立った二人の若者の行方を、何十人もの人間がインタビューに答えて行く中で探って行くと言う小説です。
非常に面白いし、ぼくは最近この人みたいな作家になりたいと思っています。
面白いので、ぜひ読んでください。
PR
と言われたので、「二人もここにいるじゃないですか」と言ったら頭が大丈夫か心配されました。
大丈夫だと思います。たぶん。
でも大丈夫じゃない人ほど自分は大丈夫だと言いますよね。

【活動日】4月19日(月)
【記録者】いくた真一
【時間】18:00~19:40
【場所】図書館第三グループ閲覧室
【参加した人数】6人
【活動内容】茂里安「誰がための絵(仮)」の合評

では以下、出た意見を。

・読みやすいだけで終わった気がする
・自然の描写は上手く、見習いたい
・冒頭が説明くさいのでダレる
・文体が心情描写に不向きなのかもしれない
・心情描写を出さずに書いてみてはどうか?
・行間について
・登場人物が長さの割に多い
・「じいちゃん」の存在が伏線として生きていない
・主題について
・内容とタイトルが釣り合っていない
・主人公の思い込みが激しくて(いい意味で)気持ち悪い

などの意見が出ました。


あと、夏号の締め切りが決まりました。
5/30(日)だそうです。
今回はがんばって原稿数を増やしたいですね。

以上、いくたでした。
【活動日】4月16日
【記録者】曽我部
【参加人数】2人
【活動場所】清心館547号(の予定でした)
【時間】18時から19時

この日は、例会の曜日が決定したばかりの週で、みんなバイトの調整が間に合わず、曽我部と林くんしか来ませんでした。
バイトとか就活とか、仕方ないけど、でも、やっぱり悲しかったです。
集まりが悪いのは今回に限ったことではありません。
本当に参加できないですか?
今一度自分の毎日を見直してみてください。

っていうちょっと厳しい感じで始めてみました。
あと、欠席する場合はちゃんと会長に連絡してあげてください。
メールこないと悲しいんだよ、あれ笑
うんでもみんな忙しいのはほんとうだし、用事あるのにそんなこと言われてもっていう人もいっぱいいますよね。ごめんなさい。
そもそもサークルへの参加を強制するのもね。あれですよね。
自分のためのものだもんね。
でも、わたしみんなと時々会わないとさみしいから、やっぱり来て欲しいな。

というわけで、今日はプロの作品から勉強する予定だったんですが、2人だしなーということで、ビラ貼りをしました。
偉いでしょ。
清心館の階段のところ、かなり貼ったからみんな見る度に感心しておきなさい!

ビラ貼りの後は、先月卒業された高原先輩が白梅まで出てきてくれたので、一緒にごはんに行きました。
わたしの、そしてわたしたちの永遠のマドンナです。
OBの先輩がいてくれるのはとても心強いです。
2つ前の日誌にも、北海道に行ったあの先輩がコメントしてくれてるんですよ。
みんなちゃんと日誌見てる?笑

それでは、明日の、あ、もう今日か。今日の例会で会いましょう。
就活が終わる気配のない曽我部でした。
【活動日】4月9日
【記録者】山本
【参加人数】6人
【活動場所】図書館第5グループ閲覧室
【時間】6時~

今となってはこんばんはというべき時間帯ですが、僕は今起きました。
徹夜するといけませんね。
生活リズムが崩れます。


この日は、一回生の子も一人来てくれました。
本当にありがたい限りです。

さて、早速合評の内容に入っていこうと思います。
今回の合評は、『party』でした。

・全体的に書こうとしている内容は面白い。
僕個人的にも非常に好みなので続編を読むのが楽しみです。

・前半に色々と詰め込みすぎて、出だしが分かりにくい。
特にページとしては一枚目。前半に色々と情報を出しすぎても読者は追いついてこない

・メールの部分が長すぎる。又、メールらしくない使われ方がされている。
具体的には、メールだと文章だから何個も一気に質問したりとか出来るのに、全くされていないなど。

・後半のシバサキと玲子の会話シーンに違和感がある。
「戦いにはヒロインが必要なのです」以降、普通に考えれば玲子が引いてしまうような話をして説得しようとしているため、読者からみて、会話そのものに違和感を感じてしまう。
展開上、説得するだけの話である以上もう少し説得的な話であるべき。

・最後の一ページがとても分かりにくい。
待てるは勝利か死か、という表現そのものが分からない。
会話の意味そのものが汲み取れない

といったような話が合評で出てきました。
他にも、登場人物がありえない、筆者と違う性別を主人公にすえるのは難しいなどという話も出ていました。



さて、上記のように合評で出た意見は比較的筆者に対して辛辣なものが多かったように感じます。僕自身も批判を結構したと記憶してます。
しかしながら、常に褒め続けるとかそういうものはそもそもの目的を見失っていることになります。結局のところ、褒めることと批判することがバランスよく出来ていると一番いいのでしょうけれど中々それは難しいことだと思います。

なんだかんだで僕も上級生になってしまったので、このへんのバランスとかをいかに上手く言えるようになるかを意識して頑張っていけたらなと思いました。



以上、山本でした。
【活動日】4月8日
【記録者】イチヨシ
【参加人数】7人
【活動場所】図書館第5グループ閲覧室
【時間】6時から8時前

こんにちは。いちよしです。この日は新入生が一人と前に見学に来てくれた子が参加してくれました。彼らは積極的に発言してくれてよかったです。では早速ですが、出た意見をまとめていきます。

『月へいく』
・日本文学からあえて離れた感じ。レイ・ブラッドベリのような感じを受けた。
・あえて火星人の描写を小出しにすることで、読む楽しみを読者に与えている。
・映像を想像させる。想像したらおもしろい。
・恋人のくだりは、村上春樹のような感じもした。
・これを長編にしたらだるいけど、短編の良さが出ている。
・タイトルのセンスがない。→いや、この直球さがいい。
・この短編の売りは、よみやすさ、ニュアンス、単語の選択(ポカリスウェットなど)にある。→星新一のような、落ちズドンのようなものとは違う。
・同じような言葉が出てきている。この短さなら被らない方がいい。
・火星人を出すのはズルイ。作者の描き放題。→しかしその火星人を面白いと思わせたなら、勝ち。

この小説は、わりとみんなに好評でした。話としてはぶっ飛んでいるのですが、それを短編だったのが良かったのかもしれません。大きなテーマのようなものは感じさせませんでしたが、登場人物の心情の起伏を楽しむ小説だと言っていました。

『蟻と私の居場所』
・読点が多い。→読みにくい。一文が長いから、意味が通るように読点を打つことを優先したのではないか。
・アスタリスクが多い。→アスタリスクの使い方は?大きな隔たりがある時に使う。
・最後の「蟻のベールが……」のところが、もういいやって感じを出していて良かった。
・外人としゃべれないから、蟻としゃべってしまう悲しさ。→アリにまで馬鹿にされる主人公。
・全体として紀行文を思わせた。旅先の様子を書いたエッセイのようだ。

アスタリスクの使い方について、みんなで話し合いました。行間やアスタリスクなど、あまり文を書くこととは関係のないように思えますが、読者の読みを左右するものなので、案外大切ですね。この小説の終わりは、続く?、となっていますが、続かないともっと非難ごうごうの合評になるとみんなは言っていました。続きにきたいです。


まあ、そんな感じで合評は終わって、みんなで花見に行きました。平野神社の桜は満開です。フランクフルト、おいしかったなあ。あと2回生の子がサークルに入ってくれました!やったね。


カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
バーコード
ブログ内検索

Copyright © [ 立命・文芸創作同好会 -活動日誌- ] All rights reserved.
Special Template : CSS*TEMP
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]