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【活動日】5月23日
【記録者】高瀬
【時間】18時から
【場所】図書館グループ閲覧室
【参加した人数】5人
【活動内容】
こんにちは。高瀬です。
最近日誌のレベルが高いのでどきどきしながら更新しています。
今日は前回に引き続き、市川くんと智東さんの作品の合評をしました。
まずは市川くんの「窓の向こうの壁のこと」
解釈したくなります。文章うまいです。書きなれているなあ、という感じ。
文章を読んで、なめらかに映像が浮かぶのは、やっぱり脚本を書いているからでしょうか。
あ、明日まで公演してるそうです。
西一風さんの「ねじ工場」、脚本は市川くんです。ご興味ある方はぜひ。
うん、で、肩肘はってないよねーっていくちゃんが言ってたように、すらすらとした文章で、うまいんだけど、解釈しようとした時に、どこをとっかかりにしたらいいかわかんないよねーってこれもいくちゃんが。
だけどもだけど、いろいろ解釈されました。
・壁は他人との隔たりを暗示している。
しかし、白い壁なので何色にも染まる、半透膜なもので、とにかく、あれです、隔たりなんだけど、黒くない。
黒くない隔たり。白い隔たり。
その白の中に、最後に残った黒い染み、あれは、あれだけは決定的なものだったから残ったのではないのか。
・窓を通して、ひとつの世界の区切りがある。スクリーン的な。
窓のこっちとあっち、内側と外側。
「ぼく」と大家さんのいる世界はちょっとだけ隔たってるんだけど、最後のほうの大家さんの一言、「この絵、あなたが描いたんですか」によって、「ぼく」が窓の外に出てくる。
・白い壁は大家さんの家の壁、ひとつの家族の象徴。
その白い壁に10段の階段が描かれる、これは階段ではなく視覚的には、大きな亀裂ではないか。
階段の絵は、家族に亀裂が入ったことの比喩。
しかし、壁は家族の象徴として考えているのに、大家さんは壁の外に出てきている。それがおもしろい。
うーん、なんかそんな感じです。いろいろ。いっぱい出ました。
解釈しなくても物語として楽しめるんじゃないの、という意見も。
物語として起伏はないけど安定してる。この文章は短編向きじゃないかなという意見も。
この人が書いた作品をもっと読んでみたいという意見も。
当の本人は忙しいようで、例会に出てくるのは来月からになりそうですが、この作品についての作者の見解を聞きたいですね。
あと、今うちのサークルには市川くんを入れると3人、哲学専攻の人がいるんですが、彼らの書く作品はジャンルが違っても、作品の根底にある何かが同じではないかと。
ベクトルが、社会ではなく、内側に向かっている感じがする。
って田島先輩が言ってました。あと、いくちゃんも。
わたしも実は哲学専攻です。
ちょっぴりショックでした。
続いて智東さんの「巨人から遠く離れて」を合評しました。
今までの智東さんの作風と変わって、コミカル。キャラクターに個性がある。
エンターテイメント!
読みやすくて、つまづきなく一気に読めちゃいました。
わたしは、らせん階段をのぼったら進化するという設定が出てきたところで、スパイダーマン的などきどき感を感じていたんですが、皆さんは組織論や進化、物語のイデオロギー化について考えながら読んでいたようです。
わたしも読者の目から脱け出して読めるようにならなければ。
でも、読み手をさめさせない書き方ができてるのはすごいと思います。
・坂本の進化の方法について、もっと細かい設定が必要なのではないか?
・どうして坂本は町を破壊しているのか、理由付けがはっきりしていない。
・進化と言っているが、肉体ばかりで、精神は変わっていないので、滑稽。
・進化したのに野蛮な行為しかしていない、なんの為の進化なのか。
という意見が出ましたが、これはすでに加筆修正が進められているそうです。
これから、まだまだ書き足されて、
組織の馴れ合いつれあいを馬鹿にしているが、自分も所詮はその中の一員にすぎないという気付き。
強くなりたい、が、簡単にはなれない、なのに目の前に超人が現れる。こいつはこうも軽々とできている……。
というあたりに注目して、続きを期待しています。
田島先輩が組織論についての話をしてくれました。
実は、共産主義の腐敗とかアナーキズムとか、いまいちわからないまま聞いていました。ごめんなさい。
きっとそのあたりも智東さんの作品を読めばわかる、のかな。ね。
・らせん階段をのぼると進化っていうのがおもしろい。DNAのらせんから考えるのとか、この発想は智東さん独特だなあ。
・最後にはっきりとしたオチがないようだが、しかし、最後は諦めではなく、受け入れた上で「さみしさ」が出ている。
・タイトルについて、「小説から遠く離れて」をパロっているのかと思ったがそうではなく完全オリジナルだった、といういくちゃんの衝撃。
その他、ハードボイルドについてもふれられましたが、いまいち飲み込めなかったので、誰かコメントでお願いします。
あ、あと、智東さんの作品には女性が出てきません。
本人は、書けないと言っていましたが、ぜひ書いてほしいです。ね、いくちゃん。
そんな感じで長くなりましたが、今日も静かに盛りあがった例会でした。
そういえば今日の村松さんは、すごくおしゃれでした。
斬新な色のシャツにネクタイ。
誰が選んでくれたんでしょう。かっこよかったです。
っていくちゃんも言ってました。
さっきからちょこちょこいくちゃんが出てきてますが、今、となりで眠っています。
かわいいです。
わたしもそろそろ眠たいので、いくちゃんにちゅうして寝ようと思います。
おやすみなさい。
【記録者】ちとー
【時間】18時から19時50分頃
【場所】図書館グループ閲覧室
【参加した人数】4人
【活動内容その他】
ちとーです。
他の方々のように上手くは書けそうもないですが、今日の活動を報告します。
まず最初に、市川さんの「窓の向こうの壁のこと」を合評しました。
……主要な意見としてはまず、いろんな解釈ができる小説だよね、というものがありました。
この小説の中で起こった出来事の意味について、みんなそれぞれに想像があるようです。
作者がどういう答えを持っているのかが気になります。
また、現実の社会とは切り離されたところで行われる問答などが哲学的で新鮮だ、との意見もありました。
私もそう思います。この雰囲気はどこからくるんだろうなー。
その後、私の小説「巨人から遠くはなれて」を合評しました。
コミカルさや人物造型には良いところがあるが、テーマに対するつっこみが弱い、矛盾しているといった意見をいただきました。
特に、「進化」が肉体的なものに留まっていること、その目的が不明なことに関しては、私もマズイなぁと思っていたので指摘されてむしろ壮快です。
ここからどう膨らませていくのか、自分でも楽しみです。
さてさて、これからまた書きますか。
それでは短い報告でしたが、失礼します。
【場所】 図書館第四グループ閲覧室
【参加人数】 5人
【内容】 高瀬「階段」「ジュリエットの階段」 多路間「階段の下」合評 詩の合評
【記録者】 はた
今朝方、駅の男性用厠から中年女性が堂々と出てくるのを目撃してしまい若干落ち込んでいます。
その女性が清掃員の方なら落ち込んでいません。念のため。
私情としては、人目につく場所でのその行動力と大胆さ、どうにか控えて頂きたかった。
私とて女性にもう少し夢を持っていたいのです。
そんな話はさておいて、先日の例会の報告です。
久々の参加で新入生の方にお会いできるのを楽しみにしてたのですが、一人も来られなかったので少し残念でした。タイミングが悪いのでしょうか。
◆高瀬「階段」
「ジュリエットの階段」の一つ前の作品になる、「階段」の合評をしました。
高瀬さんとしてはあまり満足のいく作品ではなかったそうですが、部内では好評でしたので当人が驚かれていました。
・感覚を表現することの(自然な)巧さ
・読後感のよさ
・2作目(「ジュリエットの階段」)とかなり印象が違う
・良いものをつかみかけている
・どうしてこれがダメなの?
など。
満足のいかなかった背景的な理由があるにせよ、作品自体は良い雰囲気を持っていたという意見が多数派でした。もっとも、ここで私があれこれ書くよりも一読されたほうが早いのは間違いありません。
また、再度「ジュリエットの階段」の合評も行われました。
◆高瀬「ジュリエットの階段」
前回出された意見に加え、
・構成の上手さと小説としての面白さ
・「階段が消える」という流れが理解できるかどうか
・作中作を入れることへの留意点
などの意見が出されました。
終盤には意外な秘密が隠されていました。話の上でも話を作る上でも。
死は、物語を終結させる上で、ある意味万能なようですね。
高瀬さんが笑顔のまま言い放った、「死んでしまえ」という一言が微妙に衝撃的でした。
◆多路間「階段の下」
前回の感想も交えつつ、どちらかというと観念的な点での話になったようです。
犬に関しての描写、背景説明は前知識なしで書かれたそうですから、その知識量に脱帽です。
・階段の使い方が面白い(階段と犬がヒエラルキーの象徴)
・父親の書き方が上手い
・最後のシーンが良い
・描写が典型的過ぎでは
加えて、本作に留まらない作品全体への意見なども吉田さんから出されていました。
作者あとがき(口頭ですが)も濃かったです。
両作品ともに「犬」が階段に絡めて使われていたため、何か「犬といえば階段」という潜在意識への刷り込みでもあるのだろうか、という話になりました。あるのかもしれませんが、私は犬を飼ったことがないので分かりません。
◆詩の広場
合評が大体終わったところで、珍しく詩の合評を行いました。
吉田さんと高瀬さんが詩を書いてこられていたのですが、何故か見せるのをとても嫌がっていました。
吉田さんの詩は、歌詞のようだ、という意見が出ました。実際、作品は音楽をイメージしながら作っているそうです。独特のテンポと言葉選びからは、普段の創作とはまた違ったものを感じました。
高瀬さんの詩は物語性があって、具体的に意見を述べるのは難しいのですが、素敵でした。
詩の合評は、小説と比べるとどうにも少し難しいようです。
それにしても皆さん、自分の詩を見せるのはあまり好まれないようです。
いっそのこと恋の詩など書かれてはどうでしょうか。それを皆で音読したら、第三者的にはとても面白いと思うのですが。
高瀬さんの作品も多路間さんの作品も、ムラマツさんの評が正鵠を得ていたので、それを書けば良かったような気もします。が、どう考えてもムラマツさんが書かれたほうが早いのでここでは割愛させて頂きます。
今回の作品はお二方ともある程度の実体験に基づいたものだそうで、そのようなことも話の説得力を強めているのだろうかと思いました。
合評以外にも、文学の話や犬の話など面白い話が聞けました。こうした雑学が増えていくのはサークルに顔を出す楽しみのひとつです。
女の子がいると、もっと楽しみです。
余計な本音が混ざりました。すみません。手が勝手に。
少人数にせよ大人数にせよ、密度の濃い話が聞けるサークルです。熱い文学話がしたい方、面白い話が聞きたい方、どうぞお気軽に足を運んでみてください。
特に女性は大歓迎です。
申し訳ありません、手が滑りました。もちろん男性も歓迎です。
それではこの辺で。
【場所】 図書館第三グループ閲覧室
【参加人数】 6人
【内容】 高瀬「ジュリエットの階段」 多路間「階段の下」合評
前回に引き続き、更新の遅れたことをお詫びします。いや、でも今回は忘れたわけではなくてですね、うちのパソコンは無線ランでその電波じょうky…
いや、もう言い訳はやめましょう。そんなくだらないことでこの有効なスペースを無駄にするのは勿体無いですからね。
まずは高瀬さんの「ジュリエットの階段」から。
・「死」を暗示する手段としての階段の消失は、実にテーマに沿ったものだった。
・シュールレアリスティックな展開から現実に引き戻る設定に巧さを感じる。
・しかしシュールレアリスティックな設定を使って暗示するものが「恋人の死」だけでは物足りないのではないか。もっとそこにテーマ性を盛り込めたのではないか。
続いて僕、多路間の「階段の下」。
・エッセイ風の文体だったが、すこし説明が冗長ではないか。
・読者の想像を喚起させる余地が無い。
・俺犬キライだし。
今回はこの辺で勘弁を。今から授業なので・・・
僕も前会長のように上手な日誌がかけるようになりたいな、と思いつつ、擱筆。
担当は多路間でした。
【活動日】5月9日(更新が遅くなりました。すみません)
【記録者】ムラマツ
【時間】18時から19時40分
【場所】図書館グループ閲覧室
【参加した人数】7人
【活動内容】
テーマ「階段」にちなんだ小説の合評
高村綾「犬と階段」(2回目)
いくた真一「十三段目」(2回目)
【感想のようなもの】
お元気ですか?
私はムラマツという者です。当サークルの前年度会長をしておりました。
引退してからも大体毎回来ています。サークルが好きなので。
さて。
当日は盛り上がりました。
まず、いくたくんの作品について。
「あらすじ的になってしまっているところがあるからそこをもっと詳細に書いてほしかった」「主人公がなぜこのような行動に至ったかわからなくて唖然とする」「多く書いてから無駄を削っていくといい」「もっと引っ張ってもよいのでは」「一人称だと面白いかも」「階段が13段って短くね?」などなど……
わーわー言うとりますが、こんなもの全て採用する必要はまるでないわけで、いくたくんには軽やかにしなやかに、自分の考えで前へと進んでいただきたいとワタクシ、思っております。
ただ、そのためにはさらなる自由さと見たこともない熱心さで小説に取り組むことが、今後必要不可欠になってくると、個人的には感じています。
甚だつかみどころのない話ではありますが。
次に、高村さんの作品について。
この作品合評を始めるとすぐに、女性会員の側から熱のこもった意見が挙がってまいりました。
曰く、この主人公の性に対する実感は、リアルに女性が抱いている感覚である、とのこと。
(ちなみに本当はもっとかわいらしい口調で言っていました。男性会員募集中)
「女性が抱く性意識、男性が抱く性意識、その乖離を描いた、女性としてとても共感できる作品」
「本当にこういう男はいる」
「読んでいてわかるわかる!と思えるエンターテイメントとして成立」
「ミステリー小説家登場の必然性は?」「主人公の偏った視点」「前向きな方へ向かっていない」「結末部のドタバタはなんですか?」etc....
男女入り乱れての意見交換でございます。
ただ、皆さん共通してらっしゃったのは、表現力・描写力の点では嫉妬を覚えるほどのものを、今回見せ付けられてしまったなあということ。そして、大学生サークルでは気持ちがふっ切れるまでなかなか書きにくい「性」を題材に用いたことは、サークルにとって非常にプラスであるし必要なことだったということ。この二つは、手放しですばらしいと言えるものでした。
ここからは私見ですが。
本当にこの作品で登場する「馬鹿な」男性は実際にもいます。むしろ一般的と言えるくらいにありふれているのかもしれません。女性としてはそういう人と付き合って感じる噛み合わなさを歯痒く思ったりもしていて、けどその歯痒さを男はやっぱり絶望的にわかってくれなくて、同じ女性がこうして小説にして表現したときに「そうだ!」と思って共感するのだと思います。
けど、男性として(という言い回しが適切かどうか判断に苦しみますが)少し思うところもあります。
セックスと愛を混同する。AVの真似事をする。など、こういう男性の「馬鹿な」部分は、オトコノコだったら誰でも一面として内に持っている側面ではあると思います。そして、本作中では徹底的に無視されていますが、大抵の男性はそんな自分を嫌悪します。
しかし「サイテイだーサイテイだー」とどれだけ喚いたところで、30分後にはサイテイな自分が何食わぬ顔で立ち直ってくるのが男性性の馬鹿さの骨頂なわけで、やっぱり自分でも阿呆だなーと思うことをまた女性にしてしまったりするのです。(一般的な話です!)
先述したとおり、この小説の男は自分の馬鹿さに悩むそぶりなんて一つも見せませんでした。これを読んだ女性は、「オトコってみんなそう!」って思ってしまうかもしれませんね。男性が少し文句を言いたくなるのも、わかるような……? どうでしょう。
でもこの小説が女性へ向けた、女性のための、なんというか、「あーあ、なんで世界ってこうなんだろ、いやんなっちゃうよね!」の小説なら、そこに男性の葛藤なんて邪魔なだけですからいらないと思います。エンターテイメントだったら楽しんだもん勝ちなのですから「批判は受け付けません、以上!」で終了、お粗末サマ。てな具合。
個人的には、「サークルに一石投じた衝撃作!」という見出しくらいはつけたい、いい作品だったと思っています。よい合評会になりましたしね。
ムラマツでした。さようなら。