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今日は太宰治のお伽草子の浦島太郎の合評をしました。

【意見】
物語の外に「私」という語り手がいる、メタフィクション的構造
抽象的な話に具体的な肉付け
面白さでもって読者を主題まで引っ張っていく
「飽きた」と言って帰っていくのが興味深い
こんなのもうパロディのしようがねえよ
あくまで太宰の解釈なのだからここからでもパロできる


ということで浦島太郎をパロディ化して各自小説を書くことにしました。期限は二週間後の木曜日まで。10枚くらい。

シバサキ

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遅ればせながら、後期第一週目の例会についてご報告申し上げます。
皆さん中々都合が合わないようで、人数は少なめでした。

10月4日木曜日(@ミーティングルーム206)
・後期スケジュール打ち合わせ
・合評
 「夏の境界」 常島智央
 「それは夕景だった」 シバサキユウ

10月5日金曜日(@諒友館844)
・合評
 「水仙の泉」 青菜月
 「田園に帰す」 田島翔


 常島君は今回得意分野の野球を題材にしてました。作者の得意分野の知識を作品に盛り込むと、作品に幅が生まれるし、作品全体の信憑性も増しますよね。
そして何より、その知識が特色になって、作品の唯一性が増すところに一番の意味があると思います。
簡単に言えば、その人にしか書けない小説になる、ってことです。
例えば、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」
あの小説は実際に福生で麻薬やオージーの日常を過ごした村上龍にしか書けない小説です。
誰にでも書ける小説と、その人にしか書けない小説。
読者がどっちを読みたいか、聞くまでも無いですよね。
このことが一概に作品の良し悪しを決めるとは言えませんが、欠かせない要素であることは確かです。
僕たち小説を書こうという人間は、やっぱり机に噛り付いて本ばかり読んでいては駄目ですよね。
面白いこと、新しいこと、興味のあることにどんどんトライしてみて、色々な経験をする。
それが面白い小説を書く第一歩になるんじゃないでしょうか。
以上、田島でした。乱筆乱文多謝。

今年最後の機関誌が、9月27・28日の作業で完成しました。
詳細はritsbungei.michikusa.jp/kikanshi.htmへ。よろしくお願いします。

こんにちは、常島です。
さて、
今年度における私たちの活動も、次回の活動から後半戦に入ります。
後期は、ゼミナール大会と来年4月発行予定の機関誌への取り組みがメインとなるようです。
前期に立てた目標を見失わぬよう、時間を有効に使っていきたいと思います。

4月予定の機関誌が楽しみです。
文芸創作同好会としては10号目にあたる機関誌なので、質・量ともに過去最高のものを、と考えています。
私も、そのための小説を書いている最中です。
良いものになるといいんですけどねぇ……こればっかりは「善処します」としか言えません。
難しいものです。

 遅ればせながら、9月4日~9月6日にかけて行われた合宿について更新させていただきます。
担当は私、 副会長の田島ですよろしくどうぞ。

取り合えず大まかな日程をば。

  《1日目》
8:00 西大路三条ニッポンレンタカー前集合

9:00 BKCで小島を拾う

12:00 今庄着 竹神部落、日野川、宿場見学

昼食(越前おろしそば)

14:00 東尋坊、雄島見学

16:00 チェックイン

17:00 水上勉文学碑周辺散策

夕食

20:00 入浴

21:00 飲む

以下各自就寝

  《2日目》
10:30 ホテル発

11:00 越前竹人形の里見学

13:00 永平寺見学

昼食

17:00 越前岬見学

19:00 ホテル着

夕食

20:30 入浴

23:00 飲み

以降各自就寝(若干名徹夜)

  《3日目》
8:00 チェックアウト

11:00 小浜着、三丁町、さば街道見学

昼食

13:00 一滴文庫見学

15:00 一滴文庫発

17:00 立命館大学衣笠キャンパス着
 
解散


こんな感じで3日間、我々の珍道中は続いたわけで。
3日間かけて色々な場所を巡りましたが、僕的に一番面白かった毎晩の飲みながらの文学(と言うには憚られる気もしますが)談義でした。
ざっくばらんに色々な話をしたわけですが、ここにあえて特筆したいことが二三。
まずやっぱり「教養」って大切だよねって話。
教養なんて古臭い言葉のような気もしますが、やはりいつの時代も教養がその人の人間性を決めると僕は思います。
教養を必要としない、サブカルチャーとしての文学と言いますが、それは文学の質が下がったのではなく、単に敷居が下がっただけの話ではないか。
つまり、教養が無くても読んでいて楽しいけれど、教養があればもっと面白い、ということです。
今、「楽しい」と「面白い」という言葉を分けて書きましたが、この二つの言葉、同じようで実は全く意味が違います。
例えるなら・・・
よくテレビなどで見る光景ですが、イベントやお祭りの後、インタビュアーが子供にインタビューすると子供は決まって「楽しかった」と答えますよね。
インタビュアーがさらに「どこが楽しかった?」と聞くと、子供は困ったような顔をして、「水が出たとこ(例えばの話です)」とか「火が燃えてたとこ(例えばの話です)」とか、単に見た光景や雰囲気を説明します。
しかし、大人に聞けば「こういう祭りを通して伝統がうんぬんかんぬんで面白かったです」と答える筈です。
何だか分かりづらい例えを引っ張り出してきて余計分かりにくくなった気がしますが・・・
つまり、「楽しい」と「面白い」の違いは、ちゃんと論理的に理由を説明できるかどうか、ということです。
この違いは間違いなく教養の有無からくるものです。

話を戻しましょう。
我々小説を書こうという人間が、単に小説の「楽しさ」しか知らないとしたら、それは非常に問題のあることではないでしょうか。
なぜなら、単に「楽しい」としか言えない子供に「楽しいイベントや祭りを企画しなさい」といっても、自分たちが過去に体験したことを模倣することは出来ても全く新しいものを創造することは不可能なように、小説の「楽しさ」しか知らない人間に全く新しい楽しい小説は書けないからです。
つまり何が言いたいのかというと、楽しい小説でも芸術志向の小説でもミステリーでもS・Fでも、書く(創造する)時には教養が必要になる、ということです。
だから皆、頑張って教養をつけよう!
という話でした。
他にもオタクは文化の支援者としては不適当だよねとか色々話しましたが、そういうことまで書くとものすごい分量になるのでこの辺でおとなしく擱筆といたします。
それでは皆様、休み明けに会えることを楽しみにしています。
田島でした。

 同じものを見てなにを思うかは、人それぞれだと思いますよ。

 じゃあ、それぞれってことで終わりかというと、そうではないと思いますね。

 シバサキですけど。

 RUCに載せる小説が決定しまして。田島翔の「君が消えるとき」です。タイトルは変わるかもしれませんが。

 で今日はその書き直しの可能性について話し合いました。まあ結局は田島君に全部任せるんですがね。

 つーか人が少なかったですね。というか最近ずっと少ないです。

 今日は前期ラストだったんですけど、後期の例会では、みんなの時間割がいい感じに空気読んでたくさんの人が参加できるといいですよね。

 シバサキでしたよね。
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